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概要

横浜創英大学

48堀井学園の歩みhistory「考えて行動のできる人」の育成という建学の精神のもとに、社会や地域のニーズに応える教育機関として進化を続けます堀井学園創設者 堀井章一を知る京浜高等女学校第3回卒業生 1946(昭和21)年 京浜高等女学校の校舎 195(1 昭和26)年 横浜国際女学院翠陵高等学校開校式 1986(昭和61)年1940 年 1948 年 1950 年 1986 年財団法人堀井学園 創設京浜高等女学校 設立(現・横浜創英高等学校)横浜国際女学院翠陵高等学校 設立(1999年4月同中学校 設立、現・横浜翠陵中学・高等学校)学制改革により新制中学が発足(現・横浜創英中学校)京浜幼稚園 設立(現・京浜横浜幼稚園)財団法人より学校法人堀井学園となる堀井先生の授業風景1941(昭和16)年1888(明治21)年、新潟県に生まれた堀井章一は、当時の義務教育である尋常高等小学校を卒業したのち、上京しました。22 歳の時、「自分は産業を興すことで国家に奉仕しよう」と決断、将来性が十分と見極め、若くして電気商会を創業。常に一足先を考え行動する丁寧な仕事ぶりが好評で結果を確実に積み重ね、努力の末に実業家として大成功を収めた立志伝中の人物です。堀井が次に気にかけたことは、当時、どれだけ学ぶ意欲があっても、学校の数が少ないために進学を諦めざるを得なかった女性が多いということでした。堀井は、女子教育のために私財を投じて私立学校をつくる意志を固めます。1940(昭和15)年、文部省(現・文部科学省)より財団法人堀井学園( 当時) が認可され、堀井章一が初代理事長に就任。また、堀井に学校設立をすすめ、共に尽力し、のちに教壇にも立つことになる妻・堀井すづが学園監事に就任。本学園の建学の精神である「考えて行動のできる人」の育成を目指し、ついに京浜高等女学校( 現・横浜創英高等学校) を設立・開校しました。